2014年12月30日

エクストリーム・シチュエーションコメディとはなにか

一言で解説すると『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』は、

『「〈典型的なシチュエーション・コメディ〉を2人でやらなければならない」というシチュエーションコメディ』

です。どういうことかと言うと、
http://youtu.be/jId4eVx0E34
コレを観てくれれば解ると思います。

アガリスクエンターテイメントはシチュエーションコメディを演る為に旗揚された劇団です。隠す、誤魔化す、企む、、、ここまで様々なコメディ・コントを作って来ました。そして、どの作品にも多かれ少なかれ(我々の思う)シチュエーションコメディ要素が盛り込まれています。

当たり前ですが、シチュエーションコメディを愛しています。元々演劇にしろお笑いにしろ経験も理論も素養もない我々が、舞台で笑いを取る唯一無二の武器、それがシチュエーションコメディの方法論でした。そして10年近くコメディをやり続けた今でも、シチュエーションコメディが一番面白いコメディの形式だと、信じています。あの笑いと笑いが連鎖して、更に大きなグルーヴを作り上げる爆発感は、ちょっと他にないかな、と思います。

あとまあ少し話は逸れますが、個人的にはシチュエーションコメディの「嘘」というファクターをとても重要だと最近考えていて。人間の根源的な部分だし、誰しも加害者にも被害者にもなる普遍的なものでもあります。
こんな話を読んだことがあります。赤ん坊が最初に獲得する言語は、泣き声です。最初は空腹や苦痛であげる生理的な泣き声だけで、反応に過ぎないため言語とは言えません。しかし徐々に「泣けば世話してくれる」ということに気付き、なにも問題を抱えていないにも関わらず泣くことを覚えます。そういった泣き声は意識的に発するものなので言語と言えるのですが、そこには自分の利益のために状況を偽る、という要素を持つのです。つまり、言語はその初期段階にして嘘が含まれている。
そして、嘘は哀しさと可笑しさを両方持っています。
本当に嘘は哀しい。俺自身、哀しい嘘や隠し事をされた。そしてその何倍も、騙したし誤魔化した。
と同時に嘘はとても滑稽で、バカバカしい行為でもあります。だって往々にして無駄だから。それによって状況が好転することはまずないから。それでも一時しのぎの脊髄反射で飛び出す嘘は、だから人間の愚かさの極致です。当人が切実だからこそ、側から見ればこんなに可笑しいことはないのです。
人間の根本の部分で、哀しくて、可笑しくて、だから嘘はとても魅力的です。それをメインのファクターとする、シチュエーションコメディが面白くないわけがない。俺はそう考えています。
また、シチュエーションコメディには狂人は出てきません。登場人物はそれぞれ目的を持ち、極めて利己的にそれを達成しようと行動します。ただただ切実に、非力なキャラクターは欲望のまま行動します。我々と同じように。
それが、大きな笑いを産む。そこには狂気もカオスも、ナンセンスもパンクも存在しません。ただただ、フツーの人間がいます。それでも、その無力で醜い一つ一つの行動が積み重なって、あり得ないような滑稽な状況を作る。
あえて大袈裟に言いますけど、俺はココに人間賛歌を見出します。俺たちのクソみたいなちっぽけな日常でも、客席から俯瞰したらとんでもなく笑える状況かも。そう思えるわけです。言い過ぎです。

で、話を戻しますが、我々はそんなシチュエーションコメディを研究してきました。おそらくかなり真面目に取り組んできました。するとどうしても、悪い部分も目に付くわけです。
古臭い、演出がダサい、物語性が薄い、台詞が不自然、長い、セットに金がかかる、展開がどれも同じ、陳腐、軽薄、短小、無意味、、、
シチュエーションコメディを作れば作る程、そういう不満や疑問が溜まっていきました。そして、少しずつ作品の中でそういう問題を、扱い始めました。
セットを使わないシチュエーションコメディ。
吹き出しや名札を使ったシチュエーションコメディ。
痴呆や孤独死や戦争を扱ったシチュエーションコメディ。
既存のシチュエーションコメディに退屈し絶望し切っていた我々の実験は、ありがたいことにそこそこ指示を得ました。実際、千葉県の公共施設で芝居を始めたアガリスクは、そういった作品を作り始めた辺りから、少しずつですが注目を集めたと思っています。
そんなシチュエーションコメディへの愛憎と実験精神の結晶が、『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』です。俺は繰り返し言っていますが、この20分程の作品がアガリスクそのもの、くらいに思っています。シチュエーションコメディの構造的な部分への批判もそうですが、なにより「シチュエーションコメディを演る」という行動すらシチュエーションコメディとして笑い飛ばす、この視点は他の劇団には真似できないと自負しています。これがあるから、『ナイゲン』も『時をかける稽古場』もあるのです。この作品があるから、どんなコメディを作っても一本筋が通るのです。

そんな「魂」の作品を、新年一発目にかけます。そもそもコメディを求められている場かも解りませんが、関係ない、こじ開けるくらいのつもりで勝ちに行きますよ。

『劇王 天下統一大会』東京予選

だって、市川市平田の10畳くらいの畳の部屋で産まれたコメディが、KAATで上演されたら、痛快じゃないですか?





posted by 淺越岳人 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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